相続時に必要となる戸籍制度とは?日本特有の戸籍の歴史と沖縄戸籍の扱いも紹介!

相続時に必要となる戸籍制度とは?日本特有の戸籍の歴史と沖縄戸籍の扱いも紹介! 相続手続の基礎
相続手続の基礎

「相続時に使う戸籍制度とは?」
「戦争で滅失した沖縄戸籍とはなに?」
「戸籍制度の歴史が知りたい」

日本特有の制度に、戸籍制度があります。

日本に暮らしていると、”戸籍”の存在を誰もが知っていると思いますが、実は戸籍制度を導入している国は意外にも少ないのです。

現在、日本以外に戸籍制度があるのは、中国と台湾の2カ国のみであり、かつての日本と同様に家父長制をとっていた韓国も2008年に戸籍制度を廃止しています。

しかし、日本で暮らす以上、戸籍とは切っても切れない関係・・・

戸籍がなければ日本人であることが証明ができず、またパスポートの申請など公的機関での手続きをすることすらできません。

このように、日本で暮らすためには必要不可欠と言っても過言ではない”戸籍”ですが、沖縄では第二次世界大戦の影響によって消失してしまった歴史があることをご存知でしょうか?

今回は、古代から現代に至るまでの戸籍の歴史と、悲しい歴史を持つ沖縄戸籍についてご紹介します。

この記事の執筆・監修者
長岡 真也(行政書士)

長岡行政書士事務所代表。1984年12月8日生まれ。
23歳の時に父親をガンで亡くしたことから、行政書士を志す。水道工事作業員の仕事に従事しながら、作業車に行政書士六法を持ち込んでは勉強を続け、2012年に27歳で合格。
当時20代開業者は行政書士全体の中で1%を切るという少なさで、同年開業。以来。「印鑑1本で負担のない相続手続」をモットーに、横浜市で相続の悩みに直面する依頼者のために、誠実に寄り添っている。最近は安心して相続手続したい方々へ向け、事務所公式サイト上でコラムを発信しており、相続手続の普及に取り組んでいる。

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戸籍は出生から死亡に至るまでの記録

日本では当然のように利用されている戸籍ですが、”戸籍とは何か?”と聞かれると、なかなかハッキリと答えるのは難しいのではないでしょうか。

戸籍とは、国民の出生から死亡に至るまでの親族的身分関係を時間的序列に従い記録した戸籍簿によって、個人の身分関係を登録・交渉するという制度のことです。

日本では、同一の戸籍に記載される夫婦と子供の三者間の氏は同じものとされているため、親族的身分関係を容易に把握することができるものです。

戸籍の種類

戸籍の種類には、”戸籍謄本”や”戸籍抄本”などいくつかの種類があります。

合わせて読みたい:相続で戸籍はどこまで必要?行政書士が戸籍謄本・改製原戸籍謄本・除籍謄本について解説!

『戸籍謄本』とは、戸籍・除籍等に記載されている全ての事項を記載したものをいいます。

厳密にいうと、戸籍謄本は、『全部事項証明書』と呼ばれます。

一方、『戸籍抄本』とは、戸籍・除籍等に記載されている一部を記載したものをいいます。

こちらも厳密にいうと、『一部事項証明書』と呼ばれています。

本籍地の登録は自由

戸籍は本籍地で取得する必要があるのですが、日本であれば現住所でなくとも、自由に本籍地を選択することができます。

ちなみに、本籍地として登録されているのはどこが一番多いかご存知ですか?

1番人気は、皇居だそうです、2番目は大阪城、3番目は阪神甲子園球場だそうです。

富士山は戸籍に登録できない

富士山がないことに驚かれたのではないでしょうか?

実は、富士山の山頂は住所がないそうです。

富士山山頂付近の郵便局や神社には住所があるのですが、山頂には住所がないため、本籍地にしたくてもできないというのが実情のようです。

余談ですが、富士山の持ち主は山梨県か静岡県か論争を耳にされたことがあると思いますが、どっち派ですか?

ずるいようですが、答えは選択肢にはありません!実は、現在は登記上、富士山は国のものとなっています。

富士山は国のものとなっている

かつては富士山頂付近の神社が持ち主だったところ、あるとき、俺たちのものだ!と国が取り上げてしまったそうです。そこで、富士山の所有権をめぐって国と富士山頂付近の神社の持ち主が争い、裁判所からは、長年所有していた神社のものであるという判決が示されたのですが、いまだに国は神社に返還をしていないそうです。

本来の持ち主に返さない国の言い分は、住所がないものを移転することはできない!とのことです。

したがって、本来は富士山頂付近の神社のもの、が正解なのですが、登記は国にある、というのが現状です。

このように、富士山に住所がないことは国も認めるところであり、住所がない場所に本籍地を定めることができないとされているのです。

戸籍制度の歴史

では、この戸籍制度は一体いつから始まったのでしょうか。

日本で最初の戸籍から、現在に至るまでをご紹介したいと思います。

戸籍の始まり

最も古い戸籍は、日本書紀(日本最古の歴史書)に記載があります。

戸籍制度のようなものとして最初に登場したのが、6世紀中頃のことであり、名籍(なのふだ)と呼ばれています。

ただし、現在のようなすべての人を対象としたものではなく、渡来人(海外から渡ってきた人)等を記録するためのものだったようです。

現在のような日本の戸籍制度とは異なるものではありますが、戸籍制度に通ずる制度として想像以上に古い歴史があるものと言えます。

日本で最初に作られた戸籍

飛鳥時代の645年、皇極天皇(重祚して斉明天皇)によって大化の改新が行われました。

この大化の改新の中で、改新の詔(かいしんのみことのり)と呼ばれる新たな施政方針の内容の一つとして戸籍・計帳の整備が行われました。

この戸籍・計帳の整備を庚午年籍(こうごねんじゃく)といい、身分・氏性を確定する台帳のようなものでした。

この庚午年籍の目的は、どこにどれだけの人が住んでいるのか、そのうち成人男性はどれくらい住んでいるのかということを把握するものでした。

現代の日本の戸籍制度に近づいたように思いますが、現代の戸籍制度と違う点は、庚午年籍の目的は予算を立てることであったと言われています。

誰がどこにどの程度住んでいるのかという情報を得ることで、このエリアでどれくらいの生産力があるかを見通すことができるため、予算を組むことができ、国家の政策が立てることができます。

つまり、この時代の戸籍制度は、人民の支配や管理のためだったのです。

しかし、税金逃れのための戸籍の偽造が行われたり、浮浪者が増えたなどの理由から庚午年籍は衰退していきました。

戸籍制度のような管理制度を作ったのは豊臣秀吉

戸籍制度が明確に出てくるのは、安土桃山時代、豊臣秀吉によって行なわれた『太閣検地(たいこうけんち)』です。

これは年貢としての米を取り立てるためのもので、その土地の権利関係、土地の広さや、どれだけの収穫があるのか、そこの農民は誰なのか等を帳面に書いたものです。

この時代の戸籍も課税のための制度ではありますが、戸籍に代わる制度で、租税のために農民・地勢を把握する、ということは歴史の中でずっと行われてきたことがわかります。

戦前の戸籍制度

幕末・明治時代になると欧米列強の脅威にさらされる中、明治政府は近代国家樹立に向けて様々な制度の整備を始めました。

その中で、明治5年に国としての本格的な戸籍制度が開始され、全国単位の戸籍が作られました。

戦前の戸籍は、『家制度』の考え方のもとに『家』を基本単位制としていました。

父を一家の長、つまり『戸主』として置き、長男が家や相続財産を継ぐというかつての習慣もこの頃のものです。

現代でも使用されている『お嫁に行く』なんて言葉も、自らの生家、つまり父が代表する一家から、夫となる人の父親の戸籍に入る、つまり”夫の家に入る”ことを意味するような言葉であり、この戦前の時代の戸籍に影響する言葉ですね。

その後、第二次世界大戦が勃発し、日本は敗戦。

戦後はGHQの占領政策のもと、日本の戸籍制度も岐路を迎えることになります。

戦後から現代までの戸籍制度

昭和23年、新しい戸籍法が施行されました。

この戸籍法では、戦前では『家』を基本単位としていたのに対して、夫婦とその子供の2世代を基本単位とすることになりました。

つまり、戦前の家制度が廃止され、親子単位の登録へと変更になり、『戸主』は特段の権利を持たない『筆頭者』に置き換わりました。

ようやくここで現在の戸籍制度が確立したことになります。

沖縄戦における戸籍の消失

現在の戸籍制度とは異なるものではあるものの、日本では古代から戸籍のようなものが用いられてきました。

現在の戸籍制度と同様なものができたのは戦後ですが、戦前の戸籍制度から引き継いだものでもあります。

戦争による無戸籍状態

しかし、沖縄では大きく事情が異なります。

第二次世界大戦中、沖縄本島は文字通り一大決戦場となりました。

軍関係者ばかりか全島民が戦渦の中に巻き込まれ、自決も含めた多数の戦死者を出しました。心身ともの荒廃、また敗戦に伴う被占領という未経験の状態は沖縄に住む人に大きな負担を負わせました。

この沖縄戦では、戸籍が消失してしまい、生き残った人々の存在を証明する『戸籍』を奪いました。

沖縄戦は、多くの人々の命を奪っただけでなく、生き残った人々ほぼ全員の戸籍を奪い、沖縄に暮らす人々は一気に無戸籍となってしまったのです。

沖縄戦で失われた記録は二度と取り戻すことはできず、沖縄は近世から近代にかけての貴重な『歴史』を失っているのです。

戸籍の消失が生活に及ぼす影響

日本各地の役所では、戦後すぐに戸籍などの復元に取り組みました。

しかし、通常ならそれらの記録の内容を詳細に把握しているはずの戸主の多くが戦死しており、戦後の社会の混乱も相まって復元作業は難航したそうです。

沖縄本島では戦場となっていたこともあり、さらに沖縄はアメリカの占領下にあり、戸籍の復元は困難だったとされています。

その結果、作成された戸籍は、死亡者や不在者の記載漏れ、性別や年齢も不実記載などがあり、身分登録からは程遠いものと言えるものでした。

戦後約80年経った現在でも所有者不明あるいは境界線不明などの理由で土地開発が遅れていたり、親族間の土地相続問題が起こったりしているのは、沖縄戦における記録の消失が大きく影響していると言われています。

また、無戸籍となった戦争孤児が引き取られた両親のもとに全く違う戸籍で暮らしているという場合も多くあるのが実情です。

現在でも戸籍を持っているけれども正しい戸籍ではないという事例もあるそうです。

戸籍を取り寄せて歴史を振り返ることも大事

戸籍は目的や形は違えども、思うよりも古い歴史があり、古代より用いられてきました。

現代の日本では当たり前にある戸籍制度ですが、差別を助長するとか、非効率だと議論の的になったり、世界的に見ても珍しい制度となってきています。

しかし、戸籍があることで日本人であることを証明されたり、多くの面で守られているということも事実です。

『記録なくして歴史なし』なんて言葉もありますが、沖縄戦で失われた記録は二度と戻ることはありません。

悲しい歴史を教訓に、記録を大切にしていきたいですね。

とはいえ、戸籍を守る!なんて簡単にできることではありません。幸い、明治時代から続く戸籍制度があるので、どの国よりも誰でも簡単に、戸籍を取り寄せることもできます。

戸籍を取り寄せて、まずはご自身やご家族の歴史を振り返ってみませんか?

横浜市の長岡行政書士事務所では相続に必要な相続関係図作成や戸籍の取り寄せも代行でやっております。戸籍のことでお困りごとがありましたら、お気軽にご連絡ください。

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23歳の時に父親をガンで亡くしたことから、行政書士を志す。水道工事作業員の仕事に従事しながら、作業車に行政書士六法を持ち込んでは勉強を続け、2012年に27歳で合格。
当時20代開業者は行政書士全体の中で1%を切るという少なさで、同年開業。以来。「印鑑1本で負担のない相続手続」をモットーに、横浜市で相続の悩みに直面する依頼者のために、誠実に寄り添っている。最近は安心して相続手続したい方々へ向け、事務所公式サイト上でコラムを発信しており、相続手続の普及に取り組んでいる。

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